院長 原辺 幸司
Takashi Harabe
1967年6月24日生まれ
- 鍼灸師
- カイロプラクター
- S&Dセラピスト
こんにちは、はらべ鍼灸整体院院長の原辺と申します。
当院は2014年の8月から枚方市で開業しておりますが、私自身の施術家としてのキャリアは20年以上あります。
その間にさまざまな経験をしてきました。
そしてたどりついたのが、今のこのはらべ鍼灸整体院です。
私は、痛みや不調を改善させることは当たり前で、その先にある「質の高い生活」にこそ意味があると思っています。
そういった想いがあるので、来院された方には常に本気で向き合うことをモットーとしています。いきなりそんな熱いことを言われても…と戸惑う方もいるかもしれませんよね(笑)ということで、このページでは私の自己紹介をこれまでの経験などを交えご紹介させていただきたいと思います。
- 経歴
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1995年
10月カルチャースクールにて「自宅における治療法」講師1996年
6月「脳血管障害における針治療の報告」全日本鍼灸学会で発表1996年〜
1999年(有)前田針灸接骨院 分院長1999年
8月東大阪にて原辺鍼灸院を開設1996年〜
1999年三洋電機(SANYO)バトミントン部メディカルトレーナー
三洋電機バトミントン部優勝祝賀パーティーにて1997年~
2002年ワールドカイロプラクティックカレッジ 講師1999年~
2000年大阪保健福祉専門学校 講師2000年~
2007年(公社)大阪府鍼灸マッサージ師会 生保部 副部長2001年(公社)大阪府鍼灸マッサージ師会 東大阪師会 保険部長
2002年
3月(医)桜惠会と業務提携にて交野市へ移転
2004年
11月原辺鍼灸整骨院とし柔道整復科を新設
2012年
4月株式会社ハラべ バランスケア 設立2013年
11月社会福祉法人高潤会 評議員2014年
8月はらべ鍼灸整体院として枚方市へ移転、慢性病に特化した治療院を開設2015年
1月一般社団法人 近療連 理事 - これまでの活動
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1996年
6月「脳血管障害における針治療の報告」全日本鍼灸学会で発表1997年
9月教材用ビデオ制作
撮影風景1997年〜
2002年ワールドカイロプラクティックカレッジ 講師1998年
11月近鉄ラグビー部トレーナー活動
花園ラグビー場にて1999年〜
2000年大阪保健福祉専門学校 講師2000年〜
2007年(公社)大阪府鍼灸マッサージ師会 東大阪師会 保健部長2002年
3月(医)桜惠会と業務提携2013年
10月FM大阪「ラジオクリニックモール」出演2013年
11月社会福祉法人高潤会 評議員2014年
6月FM大阪「若宮テイ子のWELCOME」出演2015年
7月FMひらかた「ビジネスウォッチング in北大阪」出演2015年
7月NPO法人医療情報調査研究会「iMedi」取材2016年
2月一般社団法人近療連設立50周年パーティーを理事として開催
- 研修歴
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1991年〜
1998年(有)前田針灸接骨院
1997年中国上海中医薬大学
1997年中国蘇州中医医院
- 所属会員
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(公社)全日本鍼灸マッサージ師会
(公社)大阪府鍼灸マッサージ師会
大阪東洋療法協同組合
大阪府保険鍼灸マッサージ師協会
(公社)全日本鍼灸学会
西日本カイロプラクティック業協同組合
一般社団法人近療連
医鍼会
一般社団法人交通事故医療情報協会
活動履歴

FM大阪DJ
若宮テイ子さん
FM大阪DJ
珠久美穂子さん
いとうクリニック院長
伊藤信久氏
ミナミの帝王こと
竹内力さん
元阪神・巨人・ヤクルト
広澤克実氏
パラリンピック日本代表
トレーナー前田先生
感謝状

交野市社会福祉協議会

ユニセフ

大阪府鍼灸マッサージ師会

一般社団法人近療連
交通事故専門行政書士から推薦状
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福間行政書士事務所 福間佐綱様
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原辺先生について
原辺先生は25年以上の治療実績をお持ちでハラべ式矯正法により頚椎の歪みを整え、負担がかからない背骨・骨盤を造っていきます。
そのため長年苦しんでいた頭痛・こり・圧迫感等の症状が改善したという声も多く聞かれます。
また以下の通りサポート体制も抜群です。
- 自律神経系の症状がある場合は鍼灸施術も併せて行える等の施術サポート体制が万全です。
- 保険会社出身で友通事故専門の行政書士や整形外科クリニックと提携しており、また弁護士事務所も紹介できる等、抜群のサポート体制です。
初回は無料です。
- 修行から独立まで
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学生時代からサッカーをやっていたこともあり、腰・膝をよく痛めておりました。
それから人の体に対する興味を持つようになり、鍼灸師を目指すことに。
無事、鍼灸師の国家資格を取得したあとは、優れた技術で全国的にも有名な前田針灸接骨院で修行を積み、分院長を任せてもらえるまでになりました。
その分院長時代には、同時に三洋電機バトミントン部トレーナーも務め、より高度な知識を必要とする、アスリートの体のケアについても学ぶ機会を得た時期でもあります。また、この当時は、ワールドカイロプラクティックカレッジや大阪保健福祉専門学校で講師としても活動しておりましたので、とても忙しい毎日でした。

- 最初の開業と挫折
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鍼灸師として実績を積み、自信もついた私は、夢だった自分の鍼灸院を開業することを決意。
東大阪に原辺鍼灸院を開院しました。
このとき、私は腕にはかなりの自信を持っていましたから、きっとたくさん来院してくれるはずだと漠然と思っていました。
しかし、現実はそう甘くはありませんでした。
開院はしたものの、来院してくださる方はとても少なく、自分の技術や将来についてたくさん考えた時期でもあります。はっきりいって来院者は少なかったです。
でも、なにをしていいかわからなかった私は、技術を磨き続けました。
この当時、すでに鍼灸とカイロプラクティックについては講師を務めることができるレベルにありましたが、それを更に向上させ、また、それ以外の施術についても貪欲に学ぶようになりました。
その結果、私が学んだ手技は鍼灸、カイロプラクティック、AKA(関節包内矯正)、動体療法、操体法、関節マニュプレーション、磯谷式股関節矯正、ストレッチ療法、自律心体療法、内臓調整療法、呼吸改善療法、頭蓋骨矯正療法と、本当に自分でもびっくりするぐらい多くなってしまいました。今にして思えば、あの当時誰も来院してくれなかったからこそ、こうやってたくさんの知識を吸収し、現在のような誰にも負けないと自信を持っていえる技術を身につけることができたと思っています。

- 原辺鍼灸整骨院から現在まで
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2004年、柔道整復科を新設するにあたって、交野市に移転し、原辺鍼灸整骨院を開院しました。こちらは、これまで学んだことを生かせたので、最初の鍼灸院のようなことはなく、順調に運営していくことができました。
スタッフも多いときでは10名以上が在籍。鍼灸整骨院を運営すると同時に、後進の育成にも力を注いだ時期です。毎日たくさんの方に来院していただき、自分の好きな仕事である施術をする。
後進の指導も行い、多くの有望な施術家を独立させていくこともできている。まさしく自分が思い描いていたもので、充実した時間ではありました。
しかし、私はこの原辺鍼灸整骨院を閉める決意をしたのです。
もちろん周囲の方からは猛反対されました。
うまくいっている整骨院を閉め、ゼロから再出発する意味などあるのか?と
2014年の7月に原辺鍼灸整骨院から、根本治療専門のはらべ鍼灸整体院を開業する決意をしました。

- はらべ鍼灸整体院を開院した理由
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開院した理由は、より効果のある施術がやりたかったからです。
私はこれまでの施術家としての人生の大半を、整骨院で過ごしてきました。おそらく多くの方は整骨院と整体院の大きな違いはわからないと思います。簡単にいうと、整骨院は保険が使えるのに対し、整体院は使えません。
整骨院では保険が使えるかわりに、厳格な取り決めがあり、自分のやりたい施術ができないのです。こういう症状にはこの技術を使った施術をすればもっとよくなるのに。整骨院での施術はいつもそんな悔しい思いを持った状態で行っていました。
それに対し、整体院は保険が使えない完全自費ではありますが、自分のやりたい施術ができます。私はそのために、かつては10名のスタッフが在籍していた整骨院を閉め、このはらべ鍼灸整体院を開院しました。もちろん、来院された方に最高の施術を提供するためです。

- 私が目指していること
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私の目指していることは、「質の高い生活」を提供することです。
今、あなたを苦しめている痛みや不調を改善させることはもちろん責任もって行います。
しかし、私が本当に目指していることはそこではありません。
その先にある、あなたの人生を、痛みや不調によって邪魔されることのない「質の高い」ものにするお手伝いをさせていただくことが、私の使命だと思っています。
私はその場だけの一時しのぎの施術はしたくありません。
ちゃんと根本的に改善させ、それを維持してこそ意味があると思っているからです。本来、鍼灸院や整体院には体の調子が悪い人が通うところです。
でも私は元気に明るく人生を楽しんでいる人が通う場所にしたいと思っています。そのためには、まず今のあなたの痛みであったり不調をしっかりと改善させ、まずその元気な状態になってもらう必要があります。あなたの生活の質、人生の質を高める。そんな施術がしたいと思っています。

